甲状腺とは首の前側、のど仏の少し下にある臓器の名前です。ほとんどの方が思っているよりも下にあります。「甲」とは本来は鎧の意味だったものが兜の意も持つようになったそうです。ですから「甲状」とは兜のような形という意味になります。
「腺」は何かを分泌する所という意味です。ホルモンを分泌するという意味で「腺」とつけたと思われます。
ホルモンとは「ある生理作用を有する生物の分泌物」と定義されています。体の中でなにかの働きを強めたり弱めたりするもの、ということです。
甲状腺ホルモンは生きていくために必要不可欠のホルモンです。哺乳類以外に魚類、両生類、爬虫類、鳥類などに存在します。甲状腺ホルモンは代謝(生命を維持するために必要な最も基本になる活動)をコントロールすることが大きな役割で、車でいえばアクセルのような働きをしています。アクセルを踏まなければ前に進まない=生きていけませんが、踏みすぎるとスピードオーバーですぐガス欠になってしまいます。
甲状腺の病気は大きく二つに分けられます。
ひとつは甲状腺の働き具合が問題になる病気です。
甲状腺の働きが良すぎて甲状腺ホルモンを作りすぎている病気=甲状腺機能亢進症(バセドウ病)や、逆に甲状腺の働きが悪く充分な甲状腺ホルモンを作れない病気=甲状腺機能低下症がその代表です。
もうひとつは、甲状腺の中に「できもの」ができる病気です。甲状腺はなぜかとても「できもの」が出来やすい臓器です。ですが、その多くは寿命に影響しないものと考えられています。これは後ほどお話しします。
日本人の場合、甲状腺機能亢進症=バセドウ病と考えてほぼ間違いありません。甲状腺に必要以上にホルモンを作らせる物質(TSH受容体抗体)が出来てしまい、過剰に甲状腺ホルモンを作らせ続ける病気です。この物質がなぜ出来るのかについてはわかっていません。出産後にバセドウ病を発症する方が多いこと、インターフェロンなど免疫機能に作用する薬の使用後の発症が多いことなどから自己免疫に関わる疾患であると考えられています。バセドウ病になると体内の甲状腺ホルモンが多すぎる状態が続きますので、からだのあらゆる活動が過剰に活発になります。脈は速くなり、汗をかきやすくなり、食べたものをすぐ消化してしまうのでおなかはすぐ減ります。しかし多くの方は食べても食べても太りません。
寝ていても運動しているようなものですから、すぐ疲れます。精神的にも影響を受けますので、イライラしやすくなったり、落ち着きがなくなったり、緊張しやすくなったりすることがあります。女性の方は生理が短くなったり来なくなったりすることもあります。よく「眼が出る」とも言われますが、実際に顔つきが変化するほど眼が出る人はそれほど多くありません。ただし眼がどんどん出てきたり、ものがダブって見えるようになってきた場合(複視といいます)には注意が必要です。ステロイド剤、放射線照射治療などが必要となる場合があります。
バセドウ病の治療は、(1)薬を飲む、(2)放射性ヨード内用治療、(3)手術の3つがあります。
一番簡単なのは(1)薬を飲むことですので、多くの方は薬を飲むことから治療を開始します。薬は2種類あり、メルカゾールかプロパジール(同じ薬がチウラジールという名前でも販売されています)のどちらかを飲むことになります。メルカゾールの方が効き目が強く副作用(好中球減少症、肝障害など)が少ないため、多くの場合第1選択となります。ただし、妊娠初期にはプロパジールのほうが良いのではないかという意見があり、近々妊娠の計画がある場合にはプロパジールから開始する場合もあります。どちらの薬も60年以上の歴史と実績があります。薬が副作用なく内服出来ている状態であれば、ほとんどの方が「薬は飲んでいるが日常生活に全く支障がない」状態になります。まず2年間は薬を内服し、2年後に病気が治まっていると判断出来る場合には中止を考えます。約半数の方は2年間で病気が治まります。2年で治らなかった場合でも一生飲み続けるというわけではありません。
(2)の放射性ヨード内用治療は、放射性物質が入ったカプセルを飲む治療です。甲状腺に集まるように作られた放射性物質を飲んで、徐々に甲状腺を小さくしていく治療です。ホルモンを作りすぎている工場=甲状腺を小さくするという意味では手術と同じように根本的な治療であること、カプセルを飲むだけでいいという利点があります。欠点は、どのくらい甲状腺が小さくなるかは個人差が大きく手術に比べて確実性に欠けます。また薬を飲んでいても手術をしても、後から眼が出てきてしまう方がいるのですが、放射線の治療は薬や手術と比較すると後から眼が出てくる可能性が若干高いので、眼の症状がある方には向いていません。もうひとつ、これは(3)の手術も同様ですが、放射線の治療がきちんと効いた場合は甲状腺がどんどん小さくなっていって、いずれ甲状腺機能低下症(甲状腺ホルモンが足りない状態)になります。そうなることがわかっている治療なので甲状腺機能低下症の症状が出る前に甲状腺ホルモンの薬(チラーヂンSといいます)を飲み始めます。多くの場合その後は一生この薬を飲むことになります。対象となる方はメルカゾールやプロパジールが副作用で使えない方、薬が飲めていても1日3~4錠以上必要でコントロールが悪い状態が続いている方、甲状腺が大きくて薬を止められる目途が立たない方、などです。
(3)の手術は、甲状腺ホルモンを作りすぎている甲状腺を手術で小さくする方法です。もっとも早く確実に治るという利点があります。欠点は手術であること(麻酔のリスク、傷痕など)、術後にチラーヂンSの内服が一生必要になること、などです。昔は甲状腺機能を正常にすることを目的として手術をしていたので、残す甲状腺の量が多くバセドウ病を再発する方が散見されていました。近年はごくわずかしか残さない手術が主流となり、再発は極めて稀となりました。一方で術後のチラーヂンSの内服はほぼ必須となっています。
注意が必要なこととして、血液中の甲状腺ホルモンが高くなっていてもバセドウ病ではない場合があります。代表的なものに無痛性甲状腺炎という病気があります。無痛性甲状腺炎は、甲状腺に貯蓄されていたホルモンが炎症などのために血液中に漏れ出ている状態なので上記の治療は基本的に必要ありません。
貯金を使い果たせば甲状腺ホルモンは自然に下がってきます。通常2~4ヶ月で正常化します。
また、出産後に無痛性甲状腺炎が生じることがあります。出産後はバセドウ病にも多少なりやすくなるので、鑑別に注意が必要です。出産後の甲状腺炎は、出産の度に繰り返すことがあります。昔「産後の肥立ちが悪い」と言われていた方の中にはこのような方が含まれていたのではないかと思われます。
もうひとつ、血中の甲状腺ホルモンは高いのにバセドウ病ではない代表的な病気として亜急性甲状腺炎という病気があります。これは甲状腺のあたりがとても痛く、硬くなり、高熱が続いて消耗する疾患です。きちんと診断がつけば、消炎鎮痛剤ないしステロイド剤で劇的に良くなります。亜急性甲状腺炎も前述の無痛性甲状腺炎同様に甲状腺機能は正常化して治癒するのが一般的ですが、なかには炎症の程度がひどく後に甲状腺が十分にホルモンを作ることが出来ない状態となることがあります。その場合は甲状腺ホルモンのお薬を内服することになります。
前段で日本人においては甲状腺機能亢進症とバセドウ病はほぼ同じ、と書きました。しかし、橋本病と甲状腺機能低下症は同じではありません。
橋本病は慢性甲状腺炎とも言われますが、自分の甲状腺組織に対して攻撃する物質=抗体が出来てしまっている状態を言います。通常は血液中に抗サイログロブリン抗体か抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体が証明されれば、橋本病という診断名がつきます。
問題は、甲状腺機能は正常なのにこれらの抗体が血中に存在する人が珍しくないということです。「抗体検査では橋本病と診断されるけれども、甲状腺の働きは全く問題がない=治療する必要がない方」がたくさんいらっしゃるということになります。
橋本病で甲状腺が壊されていってホルモンを充分作れなくなった場合は、やはりチラーヂンSという甲状腺ホルモンのお薬を内服することになります。安く副作用がほとんどない良い薬ですが一生内服することが珍しくありません。ただ、一度機能低下症となっても何年か後に機能が戻ってくる方もいらっしゃいます。
甲状腺になんらかの「できもの」を持っている方は、たくさんいらっしゃいます。なぜか甲状腺には「できもの」が出来やすいということもありますが、一方で体の表面に近いので見つけられやすい、という側面もあります。これら甲状腺に出来る「できもの」の中の多くは寿命に影響しないと考えられています。エコーをやってみると多くの方の「できもの」は、できものみたいな腫れ=腺腫様甲状腺腫とか、良いできもの=良性腫瘍とか、水がたまった袋=嚢胞です。たまに、悪いできもの=癌もありますが、甲状腺癌の多くは発育が遅く寿命が極端に短くなる方はほとんどいらっしゃいません。また、甲状腺以外の原因で亡くなった方々を死後に解剖すると、かなり多くの方々に1㎝以下の甲状腺癌が見つかるという報告は日本を含め各国からなされています。
「できもの」があった場合ですが、まず超音波検査(エコー)をやって問題がないと判断した場合には経過観察とします。もし気になる所見があった場合には、採血に使う細い針を甲状腺に刺して細胞を取る検査をします。当クリニックでも随時行っています。